WEB生活研究所 おパッピー

ご挨拶

はじめまして、WEB生活研究所の所長のおパッピーです。
小島よしおではありませんよ。
あれはオッパッピーです。
僕はおパッピーです。
まあどうでも良いでしょうが気になる方もいると思うので説明を

長女(現在10歳)が3歳くらいの頃に僕のことを「パッピー」と
呼び始めまして、おじいちゃん、おばあちゃんみたいに
丁寧に言ってちょーだいとリクエストしたところ

「じゃあ、頭に「お」を付けたらいいね」

と娘に言われて生まれたのが

わたくし、「おパッピー」で御座います。

どんな人間なのか知っていただくために
長文になってしまいますが
生い立ちをお話ししたいと思います。
つまんなかったら読むのを辞めることをお勧めします。

おパッピーの生い立ちを飛ばす

おパッピーの生い立ち

東京生まれ埼玉育ち

東京都世田谷区で産声をあげたが
子供嫌いの大家に追い出され
両親と私は埼玉に流れ着きました。

子供生まれたら引っ越せって
今だったらSNSで炎上して
ワイドショーネタですよね。

まあ、さすが「昭和」って感じですね。

風呂にキノコが生える

僕が住んでいた家はボロボロで
でも父が銀行からお金を借りて買った持ち家で
当時、住宅ローン金利は耳を疑うような金利でした。
ちょっといくらだったか捻出。
また聞いたら更新します。

でまあ、お風呂はコンクリート打ちっ放しと言うか
セメント塗られているような感じで
風呂沸かす時に、レバーを
カチカチカチッと回すと
シュッボッと着火音がして
ボッーーーーーーーーーと火が付き
お風呂を沸かすタイプ。

昭和生まれのビンボー人じゃないとわからないかも。

でコンクリーの上にスノコもどき
父が廃材で作ったスノコを床の様に使用していました。
しかし水吸って、そこにキノコができるんです。

おっと、なんかどーでもいい話ばかりしていますね。
少し先に進みましょう。

子供は本当に天からの授かりもの

当時、不妊治療は今ほど発達しておらず、
僕は、授かって3人目の子供だったそうです。

最初は流産してしまったそうです。
(その悲しみは子供を持った今だからこそ
痛いほどわかります。)

父と母はその悲しみを超え、2回目の妊娠。
ただ、経緯はわかりませんが、未熟児で生まれた兄は
産声を上げることはありませんでした。
母はあまりの悲しみのあまりに誰にも会いたくなくなり
外に出られなくなったそうです。

そしてまた月日が経ち
3回目の妊娠で僕が誕生しました。
大きな病気もなく
スクスクと育ちました。

たまーにこの話を思い出すと
自分の子供達を見て
こうやって出会えたのも奇跡なんだなと
ふと思います。

昨今、虐待をする親がワイドショーやネットニュースで取り沙汰されるが
自分が今いる奇跡を、子供と出会えた奇跡を感謝して
大切にして欲しいなと感じますね。

B型の父、A型の母、O型の僕

うちの両親は5人兄弟の一番下、
親に可愛がられ、
兄、姉から可愛がれてきた、
まあ、自分第一な人達なんです。

それもまあ。。。
なかなかの仕上がり。

ちなみに

父・・・B型

母・・・A型

僕・・・O型

????って思った方もいらっしゃいますね。
血液型に詳しい方ならお分かりでしょうが

父・・・BO
母・・・AO
僕・・・O

こんなかんじです。

つまり、おばあちゃん、おじいちゃんにO型が居て
父と母はO型の要素がある、そのOの部分が繋がって
O型の僕が誕生って感じですね。

ワガママな幼少期

幼少期は
ひとりっ子だったのでワガママだった記憶があります。

少年サッカー団に入団していて
休みの日は毎週と言っていいほど
サッカーの練習や試合がありましたね。

長くなるので小学校時代はこのくらいにして飛ばしましょう。

中学時代ヤンキーにシメられる

幼少期ワガママに育ち
その調子でいたら、ヤンキーグループに目をつけられシメられました。

この頃、金八先生の腐ったミカンが流行った?様に
全国的に学校が荒れていたのでしょうか?

ヤンキーマンガもはやりました。

・湘南爆走族
・湘南純愛組
・特攻の拓
・カメレオン

この辺りを読んでいる
男の子が多かったです。

僕も読んでいました。

シメられた話を聞きたいって?
まああんまり楽しい話ではないから後々機会があれば話したいです。

ランドセル脱ぎたての中学校一年生ですからね
考え方も未熟ですし、
ヤンキーマンガも読んでましたし
やられてしまうかも知れないとか、
自ら命をとか・・・・真剣に考えました。

遺書のようなものを書いて
クレヨンしんちゃんの単行本に挟んでいたのを
母に発見されて心配されるかなと思ったら
なんか苦笑いで
「ねえ何これー、あんたイジメられてんの?」
って言ってきた母の顔を見て
なんか恥ずかしい気持ちになったのを今でも覚えています。

遺書ですよ!

ひとりっ子ですよ!

もっと心配して先生に電話してって
今の親ならそんな感じかなぁって思ってしまいます。

でも、あの時母の対応が
あんな感じでなければ
今、こんな駄文を綴ってはいないでしょうね。


そして、
今や2児の父ですが、そんな風に扱われてきたので
あの時の母と同じ感じで育ってます。

子供も明るく元気に育っています。
特に長女は、友達とかに嫌なことを言われても
スラムダンクの桜木花道のように
耳がパタムッって感じで
聞こえなくなるようです。

もちろん絶賛反抗期なので
僕らの説教も聞こえないようです。

高校時代、中学生にカツアゲされる

ここまで取り留めのない話をお読みいただきありがとうございます。
まだまだ続きます。

ヤンキー流行時代?にヤンキーにはならずに
運動神経は良かったのでスポーツマンとして活動していましたが

色白で坊ちゃん刈りなのと
顔立ちのせいかよくヤンキーに絡まれまして
ひどい時は

「お前どこ中だよ!!」

って中学生に絡まれてカツアゲされかかる事件もありました。
これも詳しくは機会があればお話ししましょう。

末っ子両親本領発揮

だんだん大きくなり手がかからなくなってくると
末っ子育ちの両親達は自分達が遊びたい!と
僕を完全放牧状態、

高校1年生の年末、お正月を前にして
世間はすっかりお正月モード。


僕はサッカー部だったので
年末年始も全国高校サッカー選手権の
お手伝いをさせられたり、(ボールボーイ等)
練習もあったりで、
いつも帰宅は夕方。

忘れもしない高校1年生の12月30日、大会のお手伝いが終わり
自転車で自宅に帰宅。
電気が付いていないことは気にせずに
鍵を開けて家に入る

「ただいまー」
(電気が付いていなくても癖で行ってしまう。)

「・・・・・・・」

「母ちゃん、腹減ったー、なんかない?」

「・・・・・・・」

誰もいないのかーと思い
居間に入ると(リビングなんてありません)
テーブルの上に置き手紙

なんかあったらここに居ます。
電話して下さい。

!????

手紙には宿泊先の電話番号と
旅行の行程が書いてありました。

当時高校1年生。

ハッと思いました。
お金持ってないんじゃない?

いやいや待て待て、お年玉が本棚にあったはず。
見つけました。5千円。

良かったーこれでなんとかなるは
って、良くないわ!!
手紙と一緒に幾らか置いて
「これでなんか食べてね」とかないもんかね。

3泊4日の旅行から両親が帰ってくるまでの
炊事洗濯を自分でやる羽目に。

まあ大家族のテレビを見ると炊事洗濯は
当たり前なのかもしれないけど
(あっ、でもあれは母ちゃんは常にいるか)
やっと授かったひとりっ子と言う前提を
ここでもう一度思い出して下さい。

ひとりっ子でも、
常に構ってもらえて優遇されてるという
お考えは捨ててください。

これで火がついた両親

年末、子供を放置して無断で旅行に行く事件後
両親は2人揃って、旅行、飲み歩くことが増えました。
もちろん、拠点が自宅の時には
ちゃんとご飯は用意されていましたので困りませんでしたが

旅行が行き当たりばったりなのか
急にいなくて、ご飯代を置いて行ってくてればいいのですが
何もおかずに旅行に行くことも多くないまして
なんて
いい加減 良い加減と言っておきましょう。

おそらくあの年末の出来事は
彼らなりの実験?検証?だったのでは?
と思っています。
彼らに聞いても、もう覚えていないらしいです。
・・・・・・。

テキトーO型ひとりっ子完成

そんなこんなで
両親から受け継いだテキトーと
O型のおおらかさと
ひとりっ子のマイペースさが
いい具合にミックスされて

ちょーテキトーな男に育ちました。

ただ、何かをこうしようと思った時には
本当にテキトー人間なのか?
と思われるくらいの集中力を発揮することがあります。

部活引退、大学進学せず。

勉強はちょー嫌い。
遊ぶの大好きパッピーです。
もとい
おパッピーです。

どっちでもいいか。

勉強はしなかったので、テストも芳しくなく
大学なんて行く気もしませんでした。
今思えば行っときたかったなぁと思う。

後悔先に立たず。

実は声優になりたかった

でどこに言ったかというと
俳優・声優養成所の
大泉学園にある東映の養成所に行くことにしました。

吉祥寺にある某有名養成所の試験に落ちてしまったんで
東映の養成場に拾ってもらいました。

吉祥寺にある某有名養成所では
パントマイムという試験が項目があり、
高校の美術の先生に
ご教授いただき、ザ・パントマイム
窓があるよー的な、壁があるよー定期な
パントマイムを試験当日に披露。

何名ずつか部屋に通された1番目に僕の番。
先生に教わったザ・パントマイムを披露して
次の人、
冷蔵庫から何かを出して飲んで、寝転んで
何かをつまんで食べて

????

そういうタイプかっ!!

その後もザ・パントマイムをやる人はおらず
なんか恥ずかしい気持ちで帰ったとさ。

もちろん落ちました。

で、東映。

こちらはパントマイムあったかな?
忘れちゃいましたが

20人ひとクラスが2クラスで
合格40人の狭き門?

なんか合格していくことになります。

遊び・パチンコざんまい

役者の卵といえばバイト
なんのバイトをしようか悩みました。

候補は
うどん屋の皿洗い
パチンコ屋の店員

距離が近くて時給の高い
パチンコ店で働くことに。

18歳、19歳ですからねー
遊びたい

遊びたい

養成所にはちゃんと言っていましたが
それ以外は

バイト

遊び

バイト

遊び

遊び

演技の練習しろやー
って今は思います。

養成所の2期に上がれない

なんやかんやで
卒業公演を迎え
役を果たし
さて来期も頑張ろうって思っていたが

さすがテキトー人間

2期目へ上がる書類を提出していないじゃない

てな訳で声優の授業を担当していた先生から
惜しまれつつも(たぶん)
バイトと遊びの生活が開始しました。

スキーやったり

スノボやったり

海水浴行ったり

温泉行ったり

声優になる夢はどこへ?

キャラ的に周りには俳優になりたいと言っていたのですが
本当は声優になりたかった
キャラ的にアニメイト行かなそうだけど
何回か一人で行きました。

友達にそんなキャラじゃないと馬鹿にされそうなので
周りには黙っていましたがそうなんです。

もうなんか真面目に稽古してって
キャラじゃなくなってきたので
遊びまくりです。

今ふと思い出したことがあります。
お笑い芸人にもなろうと
養成所を中退した友達とコンビを組んだこともあります。
ネタは僕が書いていました。

ただ、相方失踪のため
人前で披露することはありませんでした。

携帯キャリアヘルパーになる

パチンコ屋で4年ほどアルバイトしていましたが
ヘルニアになってしまいしばらく休養。

いよいよお金が尽きかけて
当時、i-mode全盛で
(あっ、ガラケー時代の話です。
今の若い子達にはわからないかも)
時給が高かったのもあり
携帯ヘルパーになろうと
派遣登録に行きました。
携帯ヘルパーって簡単に言うと携帯電話の取次業務です。
無事派遣登録が終わり携帯ヘルパーとして働くことになりました。

携帯は普段から使っていたとはいえ、
当時の派遣は
研修なんてあってないようなもの
とりあえず登録して
携帯キャリアの総合カタログ見せられて
「これ読んでおいてねー」
って感じで
あとは現場で教えてもらってくださいって感じでした。

でも携帯ヘルパーって

ドコモの販売

ボーダフォンの販売(現ソフトバンク)

auの販売

DDIポケット(旧ウィルコム、現Yモバイル)

TU-KA(KDDIに吸収合併)

それぞれの販売員として、
それぞれの商品を売ることを目的としているため
他のキャリアの人が優しく教えてくれるなんて
ほぼありませんでした。

それは後々気付くこと。

パソコン・ガジェット好きの始まり

携帯ヘルパーになったことにより、モバイル端末が好きになり
新しい携帯が出ればすぐに機種変更して
新しいガジェットが出ればお得な情報を調べて
遠方まで買いに行ったり
まだネットショッピングは怖くてやっていなかったので
足で稼いでいました。

ガジェット好きの始まりは
他の人が使っていないマニアックなものが好きでしたね。

皆がi-modeでメールしている頃
TU-KAセルラーの「Cara」と言う端末で
パチ屋の休憩室でEメールをしていました。

今も高いですが
当時もドコモは料金プランが高く
よりお得になるものが好きな僕は
TU-KAセルラーの30秒10円だったかな?
1分20円だったかな?プラン名はBIGだったかな?
(覚えている人いたら教えてください)

とにかく長期割引で基本料金よりも無料通話の方が多くなる
そんなお得なプランでした。
かけ放題のなかった頃の話なので
かなり激アツな料金プランでした。

時は過ぎ

ドコモショップで働くことになりました。

TU-KAセルラーファンの僕でしたが
勢力はだいぶドコモに傾き
ドコモのシェア率がダントツだった頃
ドコモショップで入れることになり
そこで
シグマリオン2に出会います。
外観がゼロハリバートンとコラボした商品で
当時ビジネスマンの間でアルミ外観のアタッシュケースが
流行っていたのですが、そのブランドですね。
で、アルミ筐体のシグマリオン2に
CFカードタイプの PHSをさして通信して
メールやスケジュール管理はもちろん
文書作成もできる。そんな端末でした。

PDAとかと同じ部類なのかそのものなのか
PDAはパーソナル・デジタル・アシスタントです。

当時はガラケーとパソコンの間で使われる
位置づけの端末でしたね。
今は、スマホがその役割に当たるのでしょうか?

その端末がガジェット好き心を刺激して
すっかり電子機器にはまっていくわけです。

ADSL全盛期にPHS売りに

このくらいの時期からでしょうか、
赤い袋に入れられたADSLのモデムが
道端で配られていたのは。

Yahoo!BBがイケイケの頃、
遅くてもインターネットを外で使いたいと言う
そんなワガママな?先人たちのおかげで
今、僕たちは外で快適にインターネットを
楽しめているわけですが、

まあ、当時インターネットを外出先で使いたいと言う
そんな欲求を叶えるのは、
3Gでも4Gも、もちろん5Gでもなく
PHSだったわけです。
当時外出先で使えるPDAやノートパソコンに接続して
外で通信できる端末・サービスを提供していたのは

ドコモとDDIポケットでした。
(他の携帯会社も携帯をケーブルで端末につないで使う
ってこともできましたが、料金がね・・・。)

そんな中、大手3キャリアの隙間を狙って商いをしていた
DDIポケットの販売員として活動することになります。

PHSの終焉

PHSの販売頑張っていましたが、料金面、電波面もあり徐々に
ADSL優勢に。
まあ、最初から客層は被っていなかったけど、
今であれば、
モバイルルーターか?
光回線か?
どちらにするかの戦い。

まあ、基本的には光にして
あとはモバイルルータもしくは
テザリングですよねー。

今度はボーダフォン

常勤で入っていた量販店が撤退になり、
その時、よくしていただいた
ボーダフォンの営業さんの紹介で
ボーダフォンの販売員に
弱小PHSを売りまくっていたので販売力はあったので
ボーダフォンでも前年比超えまくりで
今までヘルパーの入っていなかったお店の開拓要員に

売れるようにしたら

売れるようにしたら

ボーダフォンは外国人のお客様に人気があり
フィリピン
中国
ベトナム
あっ、当時外国人の出稼ぎ労働者が多い地域で
常勤していたので
いろんな国のかたに契約していただきました。

しかも、一度信頼していただくと
店舗が変わっても、自転車で1時間かけても
友達連れて契約しに来てくれて
家族も多いので
当時、人家族5台まで家族割りにできたので
よく他のキャリアのヘルパーさんから

「おっ、ボーダフォンタワーがまたできてる。」

なんて言われていました。

買収されてソフトバンクになっちゃった

ボーダフォンは日本市場では苦戦していて
2006年にはソフトバンクに買収されて
ソフトバンクモバイルになりました。
(2015年にソフトバンク株式会社に商号変更している。)

ボーダフォンタワーを作りまくったおかげで
新たな店舗に移り、2人の仲間を迎え入れ3人体制で
勝負することに。

ここでも、月間20本くらいのお店だったのですが
ホワイトプラン需要もあり、
ここでも売りまくり
月間120本オーバーのお店に化けました。

まあ、3人体制になって、アイキャッチポップも作りまくって
売り場づくりしていましたし、他者にない電話かけ放題プランがあるのに
売れなきゃおかしいでしょって感じでしたね。

ソフトバンク正社員試験に受かる

ソフトバンクは組織力強化のためか経費の問題か?
派遣ではなく正社員、契約社員の採用試験を始めた。
当時アラサーだったので受けるかって感じで
受けたところ、正社員として迎えたいって
でも基本18万5千円。

当時時給1700円、月間40万くらいもらっていたので
給料下がって責任が増すのかーと思い。
「いや、やらないです。」と断ったんですが
採用通知の電話を掛けてきた人が
「え?正社員で採用ですよ?」
しどろもどろになるくらいソフトバンクの正社員断るの?
みたいな感じでした。

今になってみれば、ストックオプションやらで
今頃儲かっていたなかなぁなんて思ったりもしますが
まあ、このあと楽しい仕事にも出会い
まあまあ儲かったので良しとしましょう。

職業訓練所に行く

前に、悪友が職業訓練すると、勉強しながらお金もらえるよ。
って言っていたのを思い出し。
もらえるものは貰っておこう精神がグイグイ前に出てきて
組み込みシステムの勉強をしに行くことに
しかもこの時
妻は妊娠中。
まともな心の持ち主ならあり得ない。

んー、
まともの心でないから今も
これを書いていられるのもあるかな。

時給脳に侵食されている

おっと脱線。
組み込みシステムの勉強をしに学校に行くことになりましたが
その後、IT土方と言う話を聞いて
プログラマーはやめて

また楽チンな販売の仕事に
数字あげればokっていう簡単なルール
販売って良いよねー。

時給脳って計算簡単だから良いけど
休めば入らない
これは
時給でなくどの仕事も同じ。
でも抜け出せないよー。

でも少し動いてみたよ。

開業してみた

この頃、無税入門って本で
税金ゼロにするみたいなことが書いてあって

ふんわり開業

開業して何ができるか
トークとパソコン少しいじれるくらい
初心者・シニア向けのパソコン家庭教師を
始めました。

出張費込みで4千円とかでやっていたけど
今思えば安すぎ。
1時間掛けてお客さんの家に
2時間授業(質疑応答ベース)
1時間掛けて帰宅

うーん

4千円ではやらんよね。

ただ、このことにより時給脳はおかしいと
少しづつ思い始めていく。
だいぶ先の話。

下請けになってみる

時給販売員をやりながら
パソコンの家庭教師をやっていましたが
今いちうだつが上がらない。

そんな時、知人から電話。

「パソコンの出張設定やらない?」

当時、光回線普及期。
僕の時給のタネも、光回線の取次と
携帯電話の販売。
まだコラボ光が出る前、フレッツ光の時代

家電から5万円びきとか
キャッシュバック6万とかやっていた時代。
今は総務省がうるさくて表立ってはやれていないけど
あの頃はすごいバックがあった。

で、知人の出張設定業も忙しくなったらしい
僕も開業していたしちょっとやってみることに。

そしたら、まだiPhone3Gが出て1年くらいだったかな
世間はまだガラケーが主流。
ネット環境は当時流行ったネットブックだった。

しかもキャッシュバック全盛期。

めちゃくちゃ忙しかったよね、
でも、時給じゃなくて売り上げの7割(70%)もらえたので
パソコン設定で多い時に
利益6万超え
月間利益80万超えを味わいました。

でもおいしい時期は長く続かないもんですね。

元請けがミスって仕事干される

元請けもリスク回避のために
数社を使って仕事を振っているのは
当たり前のこと。

何かあれば足切りできるもんね。

チラシを新調して配る前のベースになるものを
知人、もう社長って言い換えましょう。
社長が元請けの会社に軽く出したものが
なぜか流出、そして店舗で使われてしまった。

何が問題なのか?

FAX番号間違えてんねん!

個人情報の取り扱いが厳しくなってきた頃なので
どこの企業も敏感。
でFAXでお客様の申し込み情報を送るらしいんだけど
間違った番号に送っちゃった。
ただ、現在使われていない番号だったため
大きなトラブルにはならなかったんだけど

うちの会社のチラシは下げられて
他の下請けのチラシが撒かれることに

ここから徐々に船は沈んでいく。

社長やらない?

チラシを下げられた僕らを乗せた下請け号は
徐々に大海に飲み込まれていくんだけど

「仕事がなくなるかもしれません。」

社長は謝ることもなく未完成で番号の違っているチラシを
撒かれてしまったとだから
チラシを下げられ、
仕事がしばらく来なくなるとだけ伝えた。

社長を含めた5人の会社
2人やめ、僕ともう一人、社長と3人残ったが
全盛期の売り上げの半分くらい

それでも長時間拘束されて
30万くらいならこの仕事の方が
時間効率は良かった。

だが、キャッシュバック禁止になり
さらに客が減った。

社長は一人から3割の手数料。
4人回せていた時は良かったんだろう。
下が2人になったら毎日電話受付して割り振って
の時間拘束が割に合わないと感じてきたようで

「もうどっちかに社長やってもらって・・・」

社長の引退宣言。

誰が社長やるのか

もう一人の人の方が年上で
社歴的にも先輩。
ただいい加減なところがあり
給料払わず逃げちゃうかもみたいな
余計な心配をして

「おパッピー、社長やったら」

といってきました。

思い出してください。
僕は極度のメンドくさがり

「やってもいいんですが、Aさんが先輩なんで、
先に打診してみてください。」

結局、Aさんが社長になり
今までと変わらない仕事をしていくことに

スマホ時代到来

スマホも最初はギガが足りないため
光回線が必要であったが
今は大容量プランや
エンタメーフリーの格安SIMも出てきて
光回線の必要性はどんどん減ってきてしまって

オンラインゲームや
がっつり動画見る以外ではあまり必要ないかな
しかもキャッシュバックもほぼ無いに等しいので
獲得員の無理に乗り換えさせることができなくなってきて
獲得は下降線

しかも年配の方も子供もスマホやタブレットがあれば十分

パソコンの出番は年賀状、
スマホのバックアップに必要なくらいにまで
需要が落ちてきた。

のちに気づくことになるのですが
普通に生活していたらパソコンに10万とか払わなくね
むしろなくてもなんとかならね
それに気づくまでもう少しかかりますね。

コラボ光が席巻

ココから少し口が悪くなるというか
思想のクセが強いんじゃあって感じなので
みたく無い人は飛ばしてください。

僕らの仕事って楽チンでした。
営業しないで良かったから
回線獲得したい元請けが
回線獲得する足切りできる派遣スタッフを
派遣会社に頼んで仕入れてお店に入れて
客が渋ったら
僕らを紹介して強引に返させて自分の会社の
定期収入にするっていう手法。

でもねコラボ光という手法が出てきたことにより
携帯会社を持たないISPは厳しくなってくる。
しかも店に入らせてもらって活動させてもらっていたが
量販店や携帯ショップでも独自のコラボ光の提供を始めてしまう。

これにより、店舗独自の光を勧めなくてはいけなくなり
徐々に狩場を失っていく。

すると流れの最下層にいる僕らまで水が流れてきづらくなる。
限られた水槽のスペースで2社が取ったり取られたり

この先、世間の流れ的にダメだろうと判断して
手を引くことにした。

令和元年に向けて

今回、沈みゆくビジネスをやめる宣言した。

令和になることもあり
新しい時代では
今までの型枠にはまらない方法で
お金を稼ごうと考えた。

本来であれば、今までの仕事をやりながら
新しい道を模索するということが良いのだろうが
仕事が減りもうダメだ感満載のまま
新しい仕事はできない。と判断した。

何をしようか

せっかくなので今まで仕事で培ってきたものを
もっと多くの人に広めていこうかと考えています。

訪問設定で伺ったお客様に知らないことを
お教えして喜んでいただく
これはなんか世間の役に立ってる感あったなぁ。

なので

18年以上も携帯・ネット関連の仕事をしてきたから

年齢的には大学卒時くらいから
携帯やパソコンのお仕事をさせていただき
十数年も仕事でガジェット、回線を扱わせて
いただいたから理解できる。
情報を自分なりに整理して訴求して販売してきたからこそ、
それをわかりやすく、苦手な方にお話しできる力があると思っています。
その自分の力を利用して
世間様のお役に立てると信じて活動していきたいと思います。

マニアックなガジェット好きなんですが・・・

これからはマニアックな感性も残しながら
ミーハーで攻めていきます。

今までは情報を受けて楽しむ側だったのですが
これからは情報を受けて検証してその情報を
さらに発信していく。
そして、誰かの役に立つことを生きる意味としていこうと
そう考えています。

これからも当サイト「WebLifelab(ウェブライフラボ)」を
おパッピーをどうぞよろしくお願いします。

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